脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー⑥壊れゆく自分

受診から帰宅しても、不安感が治まらなかった。

 

この不安は、何か対象があるわけでない。

 

漠然としていて、とにかく何に対しても怖く不安であった。

 

自宅から外にできることや車に乗ること、誰かと会話すること、ご飯を食べること、水を飲むこと、トイレに行くこと、とにかくすべてのことに不安や恐怖がつきまとった。

 

不安感が消えない僕は、クリニックで処方された頓服薬を服用した。

 

「これを飲めばいくらか軽くなるのか、、、」

 

と半信半疑になりながら、薬を飲んで様子を見た。

 

1時間後、多少は不安感なども軽くなったような気がしたが、漠然たる不安感は消えることはなかった。

 

僕は、長時間作用型の抗不安薬を朝に1錠飲んでいる。

 

それに加えて、頓服薬を1錠飲んだ。

 

「1日に安定剤を2錠飲んでいるので、全然効いてない、、、どうしたんだ、、、。」

 

「何故、この気持ち悪い不安感や恐怖が消えないのか、、、。」

 

「本当に自律神経失調症なのか、、、。」

 

様々な症状に振り回されてきたことで、自分がどうなってしまうのか、怖くて怖くてたまらなかった。

 

「医師は1ヶ月くらいで良くなると言ってたよな、、、。」

 

この医師の言葉をまだ信じていた。

 

さきほど飲んだ頓服薬は、短期時間作用型の抗不安薬であり、約5~6時間で効果が消失すると説明されていた。

 

頓服薬を飲んで5時間後、異変は起こった。

 

急速に今ままでよりも強烈な不安感が襲ってきた。

 

めまいもするし、座っていても倒れこみそうになる。

 

不安感と恐怖で自分ではない何かにコントロールされたような感覚になった。

 

「もうだめだ、、、俺はどうなってしまうんだろうか、、、。」

 

症状に振り回されている自分、、、。

 

その時は振り回されているという感覚はなく、ただただ、様々な症状に苦しんでいた。

 

不安感や恐怖感、思考力の低下、集中力の低下、下痢や食欲の低下などに加えて、

動悸、息切れ、のぼせ、不眠、胃痛、、、、すべては【うつ病】の症状である。

 

しかし、その時は自分がうつ病であることを否定していたし、医師からもうつ病ではないと言われていたので、うつ病の症状であることなどと微塵も思っていなかった。

 

うつ病の患者さんとも何度も関わったことがあるが、私みたいな症状がある患者さんとは接したことがなかった。

 

だから、うつ病の症状がこのような多様な症状を呈するとは思ってもみなかった。

 

いや、勉強不足なのだろう。

 

うつ病は、扁桃体をはじめ大脳辺縁系が異常に反応している病気なのだから、身体的、精神的な症状が出てきて当然なのだから。

 

うつ病の症状とは知らずにいた僕は、

 

「いつになったら治るんだ。薬はちゃんと飲んでいる。なのに何故だ、、、」

 

日に日に強くなる症状によってさらに不安感が増していった。

 

体重もますます減ってきた。

 

胃痛、胃もたれ感が強烈になってきて、食欲の低下がさらに強くなってきた。

 

水を飲むことが精一杯であった。

 

なんとかバナナを口にするが、すぐに吐き気がきて全部食べることがきない状態であった。

 

妻には食べられない事情を話すが、なかなか理解されなかった。

 

また、症状についても相談するが、これもまたなかなか理解されるのが難しかった。

 

体重が減り、変わりゆく自分をみて同僚は、

 

「ストレスだよ。しっかり休んだ方がいい。」

 

と言ってくれるが、休み方をしらない僕は、【休む方法】がわからなかった。

 

もうここまで症状が進行している状態で仕事をすることは、ますます状態を悪化させることにつながるだろう。

 

今思えば、ここで休みを取った方がよかったのかもしれないが、仕事を休み1人で家にいても、苦しくなる一方のような気がしていた。

 

僕は、不安で不安で自宅に1人でいることができない状態であった。

 

自分で自分をコントロールできない不安感や恐怖感、様々な症状、、、。

 

このうつの症状を理解してくれる人がいるのだろうか。

 

「精神的に弱いだけ。」

 

の一言で片づけられるだろう。

 

これが今の世の中だと思う。

 

理解してもらいたいと必死に訴えるが、それだけでは理解されることは難しいだろう。

 

うつ病の急性期、回復期、寛解期のなかで、最も理解されにくいのが急性期なのではないかと思う。

 

この急性期に、だれか身近に理解者がいれば認知の歪みを最小限におさえられ、長い経過をたどらずに回復が早いのでないかと考える。

 

うつ病は理解されにくい孤独な病気、、、。

 

過去に関わったうつ病の方は、孤独だと口にしていたことを思い出す。

 

・・・

 

頓服薬の効果が切れて症状の嵐と戦っていた。

 

夜になり、睡眠薬を飲んで寝れば症状が治まるかもしれないと、一筋の希望を持ちながら、睡眠薬を飲んだ。

 

僕が処方された睡眠薬は、短期作用型の睡眠導入剤であった。

 

睡眠薬にも、抗不安薬と同じように、短期作用型、中期作用型、長期作用型と分類されており、また、不眠の状況によって(入眠困難中途覚醒早朝覚醒など)適切は睡眠薬が処方される。

 

抗不安薬と同じように、耐性や依存性も存在する。

 

僕は先生には、入眠困難であることと早朝覚醒があることを伝えたが、過去に使用した経験のあることが理由で、短期作用型の睡眠導入剤が処方された。

 

「これを飲んだら眠れるよな。昔はこれを飲んだらぐっすり眠れたし、、、大丈夫だよな。」

 

と自分に暗示をかけて睡眠薬を飲んだ。

 

入眠は問題なかったが、3時間くらいで覚醒した。

 

「全然、眠れていない、、、。まだ、夜中の2時だよ、、、。」

 

睡眠時間は3時間くらいの確保でやっとであった。

 

夜中の2時に目を覚まし、朝まで起きて仕事に行く。

 

身体的、精神的な症状を抱え、3時間の睡眠時間で仕事に向かう毎日であった。

 

体は弱っていく一方であり、日に日にげっそりしていた。

 

思考力の低下や集中力の低下も進行しており、文章も読めなくなっていた。

 

人と話しするだけで涙が溢れてきて、会話にならない。

 

前回の受診から1週間後、状態が悪くなる一方であり、夜も眠れない状況であるために、受診の日ではなかったがクリニックに行った。

 

「調子悪い日もありますよ。しっかりと薬を飲めば1ヶ月後良くなります。睡眠薬は前回よりも長く効く薬を出しておきます。」

 

睡眠薬だけ変更になった。

 

「1ヶ月で良くなる、、、。最初受診からもう少しで1ヶ月なんだけどな、、、ますます悪くなっているんだが、、、」

 

その日の夜、変更した睡眠薬を飲んだが、一向に眠ることができなかった。全く眠れない、、、眠れないことに余計に不安になり怖くなった。

 

眠れないことで、ただでさえない体力をどんどん奪われていった。

 

1人になれば不安感があるので、仕事に行く、どんどん弱まる、、、負のスパイラルに飲まれていった。

 

私の状態を見その時の妻も、だんだんイライラしていった。

 

私に大声を出したり、きついことを言ったり、今までの過去の失敗を引っ張りだし、僕をとがめた。

 

きっと、そばで私の状態をみるのが辛かったのだろう。

 

逃げ出したかったと思う。

 

妻の苦しみは今となり、やっと理解することができる。

 

家族も辛い状況になる、苦しんでしまううつ病、、、うつ病は当人だけではなく、周りも苦しめてしまうという特性がある病気だと思う。

 

うつ病は、理解されるのは難しいが、家族や周りの人を巻き込み苦しめてしまう。

 

うつ病は認知の歪みがあるので、人間関係には注意が必要と思う。

 

身体的、精神的な症状で苦しんでいる中で、その苦しみで自分よがりになり、認知が歪んでしまう。

 

苦しいには自分1人なんだ!何故理解してくれない!調子が悪いことを理解するべきだ!

 

と自分だけが苦しいと思ってしまう。

 

うつ病の症状が苦しい急性期の時は、周りがどう思っているかは考えられない。

 

しかし、苦しいのは自分1人ではない、家族も苦しいんだと思う。

 

妻もイライラしてきており、自宅でも職場でも自分の居場所がわからなくなった。

 

「僕はどうすればいいんだ。どうすれば、、、。」

 

症状が続く中、自分が何を信用し、どこにいけば安らぐのか、どこにいればいいのか、

何故症状が治まらないのか、すべてがわからなくなった。

 

仕事も全く使い物にならなく、、、自分を責める。

 

家でも妻にイライラさせてしまい、、、自分を責める。

 

自宅にいることが苦痛になってしまい、妻を休ませるためにも2日間ほど実家に帰った。

 

親には当然心配された。

 

「いい年なのに、親に心配かけて、、、。情けない。」

 

と自分を責める。

 

どこにいても自分を責めるようになってきた。

 

昼寝しようにも不安感や胸のザワツキ、ネガティブなことを考えてしまいできない。

 

食事も食べれない。

 

夜も眠れない。

 

髭剃り、歯磨き、整髪もやっとできる程度。

 

「風呂は入れるだろうか。」

 

と不安に思いながら、やっと入れるが疲れてしまう。

 

何も意識してなくできたことが、できなくなってきた。

 

これはすべてうつ病の症状、、、。

 

そうとは知らずに、

 

「医師が言っていた1ヶ月は過ぎたが、良くなっていないどろかますます悪くなっている。もう限界かも。もう俺はだめだ。」

 

壊れていく自分を受け止められなくなり、どうしていいかわからなくなった。

 

壊れていく自分。

 

光が見えない自分。

 

どうしていいかもがくこともできなくなった自分。

 

「おれ、死ぬかもしれない、、、。」

 

この恐怖に支配されるようになった。

 

実家から自宅に戻った僕は、仕事が休みだったので、自宅にいた。

 

「おれ、死ぬかもしれない。」

 

この恐怖と不安で、妻に泣き叫んで助けを求めた。

 

妻も泣いていた、、、。

 

辛かったのだろう。

 

妻が出かけ自宅に1人になった。

 

死ぬかもしれないという恐怖に支配されていた僕は、不安で仕方がなかった。

 

ソワソワして落ち着かなくなり、1人でいられない。

 

「死ぬかもしれない、、、」

 

もう頭にはそれしかない、、、。

 

電話を手に取り、【命の電話】に電話した。

 

電話しながら、泣いて泣いて不安であることを訴えた。

 

頓服を飲んだが効果はない。

 

命の電話の方は親身になって話を聞いてくださった。

 

しかし、頭の中はよからぬこと一杯であった。

 

自ら何かをしようとは思っていないが、このまま状態が悪化すれば、何をするかわからないと怖くなっていた。

 

「もう、限界だ、、、。」

 

家でも、職場でも、今のクリニックでも良くならない。

 

家族のためにも、自分のためにも入院した方が良いと考えた。

 

大学の先輩に相談して、病院を紹介してもらった。

 

命の電話をかけた次の日、仕事を休んでクリニックを受診した。

 

「休まる場所がないです。このままだともう限界です。入院治療したいので紹介状をお願いします。」

 

とだけ伝えた。

 

薬を拒否するとか、入院を拒否するとか、もうその段階ではなかった。

 

自分が壊れていく姿ももう見たくなかった。

 

家族とも関わりたくなかった。

 

すべての人と関わりたくなかった。

 

その時、僕が出来る精一杯の対処であった。

 

入院治療目的で、受診予約しようと電話すると2週間後と言われた。

 

「お願いです。もう死ぬかもしれないです。お願いします。明日受診させてください。」

 

恥も何もない。

 

何度も上記のことを訴えた。

 

ようやく明日受診できるようになった。

 

翌日、僕は紹介所を持ち、妻と予約した病院を受診するために、自宅を出た。

 

 

脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー⑤抗不安薬

2007年5月、様々な身体的、精神的な症状に苦しんで僕は、心療内科を受診し、抗不安薬を1週間分むらい帰宅した。

 

「これを飲んだら良くなるだろうか、、、不安だな。」

 

症状に苦しめられながらも、

 

「薬漬けにはされたくない!」

 

と強く思っていた。

 

医療従事者の僕は、うつ病などの精神疾患の患者さんが薬を飲んで副作用に苦しめられていることや、薬からなかなか脱せない方々も多く見ている。

 

薬(クスリ)は反対から読むと、【リスク】。

 

そのことが頭に充満しており、精神科の薬にかなりの拒否反応を起こしていた。

 

精神科の薬を飲むこが不安で不安で仕方がなかった。

 

僕は過去、医療機関で勤務していた時は、夜勤などもあり軽い睡眠障害になったことはあった。

 

その時は、入眠導入剤を飲んで睡眠のリズムを整えていたが、

 

今回の症状は自分でも、

 

「あの時のような軽い状態でない。自分では制御できない不安感や身体的症状がある。

これは本物だ。」

 

と、過去の状態とは違う自分自身に不安があり、

 

「この本物の状態で薬を飲み続けることは、きっと薬漬けになってしまう!。」

 

と不安が不安を呼び、薬に対する抵抗感が強かった。

 

 

私が飲んだ薬は、一般的にマイナートランキライザー抗不安薬であり、その中でも、長時間作用型であるために、依存性が低いとされている。

 

一般的に、精神安定剤は「マイナートランキライザー」と「メジャートランキライザー」に分かれている。

 

トランキライザー】とは、精神を穏やかにする、つまり精神安定剤の意味らしい。

 

そのトランキライザー中で、「マイナー」と「メジャー」に分かれているが、現在ではこのように呼ばれることは少なくなってきている。

 

私が処方されたマイナートランキライザーは、ベンゾジアゼピン系といわれる抗不安薬であり、現在は、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬として一般的に認知されている。

 

ベンゾジアゼピン系の抗不安薬は、効果の強さ、効果時間によって色々な種類があり、患者さんの症状によって、その強さや作用時間を考慮して処方されているようである。

 

また、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬は、耐性や依存性が生じることもある。

 

処方した医師からは、

 

「この類の安定剤は、効果が強く感じるものかつ、作用時間が短いものは依存しやすくなる。今回、処方した安定剤は効果時間が長いので依存性が起こりにくいとされています。」

 

と説明を受けた。

 

自宅に帰り、自分の処方された薬について色々と調べてみた。

 

薬の効果、作用の強さ、効果時間、依存性、耐性、副作用、、、

 

また、この薬を飲んだ方の体験日記なども、自分が調べられることは1通り調べた。

 

耐性がついた、依存性がついたなどの意見もあり、怖くなった。

 

 

薬は【リスク】、、、

 

僕のように、薬に対して抵抗感がある人は多いのではないのかと思う。

 

特に、医療従事者は精神科の薬に対して敏感の人が多いのではないかと思う。

 

直に、患者さんが苦しんでいるのを見ているから、自分のことになると、、、怖くなると思う。

 

このように医療従事者は、知識が経験もあることから、

病気になると、過剰な心配をしてしまうのではないだろうか。

 

僕はただでさえ、ヒポコンドリー性基調的な性格なので、

 

自分の病気について、薬について、怖くて怖くて仕方がなかった。

 

しかし、先生から言われたことば、

 

うつ病ではない。」

 

その言葉を信じて、症状が少しでも良くなるならばと、薬を手にとり意を決して1錠飲んだ。

 

薬を飲んだが、落ち着かずそのまま散歩に出かけた。

 

30分ほど散歩して自宅戻ると、眠気が襲ってきた。

 

 

この症状が現れてからは、大好きだった昼寝をすることができなくなっていた。

 

昼寝をしようとするが、頭がギラギラして、不安になり胸がザワザワして苦しくなっていた。

 

不安から、マイナス思考になり、頭の中にネガティブなことがグルグルと周り、昼寝ができなくなった。

 

これはおそらく、うつ状態で常に精神的、身体的に緊張状態のために、寝る=安静=落ち着くことができなくなっていたと思う。

 

夜間の睡眠も、早朝覚醒が目立ってきたのも、緊張状態だったのだろうと思う。

 

常に緊張状態であるから、いつもいつも疲れていた。

 

うつ病が疲れやすいのは、常に緊張状態であり、興奮している状態であるのも一つの原因と思う。

 

眠気が襲ってきた僕は、ソファーで昼寝をした。

 

、、、1時間後、

 

「あれ、昼寝できた!やった!」

 

昼寝できたことがとても嬉しく、飛び上がりたい気持ちであった。

 

たしかに、胸のゾワゾワ感は不安がかなり軽減された感じがあった。

 

「薬が効いた!良かった!」

 

1人でいる訳も分からない漠然たる不安が、さらに不安を呼び、どうしようもできなかったが、今は少し楽にもなった。

 

症状の全部が全部消えた訳ではなかったが、幾分軽減されたことに喜んだ。

 

集中力低下や思考力の低下、食欲の低下は相変わらずであり、下痢も続いていた。

 

症状が多少良くなった自分に安心感を抱き、次の日仕事にいった。

 

仕事をこなしていくが、

 

浮遊感なども症状は相変わらずであった。

 

「僕はうつではないし、薬を飲んで少しは良くなったんだ、もう少しで全快になるはずだ。」

 

と、自分にいいきかせて、次の受診までの1週間を過ごしていった。

 

夜も断眠だが、薬を飲む前よりは眠れるようになった。

 

「前よりは眠れるし大丈夫だろう。」

 

以前の元気のときよりは、何か身体的にも精神的にも弱っている感じではあったが、上記のように少しは良くなっていることをプラスに考えていた。

 

 

1週間後、受診の日がやってきた。

 

先生には、不安感や胸のザワザワ感が軽減したが、食欲低下や下痢が続いていること、夜も断眠はあるが以前よりは眠れるようになったことを伝えた。

 

「あと1ヶ月ぐらいすればもっと良くなります。薬を続けて見てください。」

 

と、2週間分の抗不安薬をもらい帰宅した。

 

安心した僕は、

 

「久しぶり外食でもしようか。ドライブにも行こうか。」

 

と、少し良くなっている自分に喜びを感じていた。

 

しかし、この後に、今までの症状よりも強烈な苦痛が襲ってくるとは思いもしていなかった。

 

受診した2、3日後のこと。

 

夜は眠れたが、朝からやや不調であった。

 

薬を飲むことで、不安感や焦燥感、胸のざわつきは多少治まったと思っていたが、かんり強くぶり返してきたのだ。

 

休みであったその日、1人で自宅にいたが、全くゆっくりできない。

 

ソワソワして落ち着かず、またあの不安感が襲ってきた。

 

「え!何で?またあの不安感がきた。どうして?」

 

と頭が混乱していった。

 

「薬を飲んでからの1週間は、症状が幾分軽くなり、これから良くなっていくはずだったのでは。」

 

と思っていたが、症状は次次に襲ってくる。

 

対人恐怖、広場恐怖、自宅から外にでくることの恐怖や不安、、、

 

あの症状たちがどんどん戻ってくる。

 

このような状態でも、仕事にいくには行っていたが、全然動けなくて、頭が働かった。

 

いわゆる使いものにならなかった。

 

しかし、仕事は休めない。

 

仕事の休む方が分からない。

 

今まで、遮二無二仕事していた自分。

 

仕事が大好きな自分。

 

輝いていた自分。

 

自分が病気であることを自覚することや、仕事を休むことなどできる訳がなかった。

 

今、休んでしまうとすべてが壊れる。すべてがダメになってしまう。

 

というように、限界が来ているのに、自分をいたわらなかった。

 

仕事を休んで自宅にいると妻にも心配かけるし、何を言われるかわからない。

 

業務的にも、家庭的にも仕事を休めることができなかった。

 

プライド、、、そう、すべてにおいてプライドが休養を邪魔した。

 

この病気の治療には、プライドが邪魔する時がある。

 

うつ病の体験記などでも、プライドが邪魔して悪化してしまう人がいることを目にする。

 

プライド、、、僕は、自分の芯を持つために、軸がぶれないようにプライドを大切であると思うが、がんじがらめのプライドはかえって病気を悪化させてしまうのではないかと思う時がある。

 

自分でもいまだにプライドは必要なのかと悩む時がある。

 

・・・

 

仕事でも自宅でもゆっくりできなく、さらに、病気の症状が強くなってぶり返した僕は、この先もっと苦しむことになった。

 

とまらない下痢、食欲低下、、、、症状が発症してから、体重が3週間で7キロ減少した。

 

睡眠も、なかなか入眠できない、、、入眠しても2時間くらいで起きてしまい、その後眠ることができない。

 

寝ている時も常にはっきりとした夢を見ている状態であり、全く寝た気がしない。

 

漠然たる不安感や焦燥感、胸のザワツキ、浮遊感、、、

 

一番驚いたのは、歯磨きができなくなったことだ。

 

「あれ?歯磨きってどうやってやるんだっけ?」

 

歯磨きが出来なくなった自分に驚いたとともにショックであった。

 

「俺、もうやばいかも、、、。」

 

思考力の低下や集中力の低下はかなり進行していた。

 

このような症状にプラスして起きたのが、嗅覚過敏であった。

 

とくかく、臭いにすごく敏感になり、200メートル以上離れた、消臭剤の香りが鼻につき苦痛だった。

 

臭いを認識するのは、鼻の奥になる嗅上皮であるらしい。また、臭いは大脳辺縁系に直接届き、視床下部や下垂体、大脳皮質にて、臭いを判別する。

 

うつ病大脳辺縁系が何らかの反応を起こして、様々な症状を起こすこと考えると、嗅覚過敏になることも不思議ではない。

 

嗅覚過敏も大脳辺縁系の何らかの反応であると思う。

 

また、何もしていないのに、涙がでてきてしまい不安定にもなった。

 

 

このように、症状が強くなったことで、まだ次回の受診まで1週間あったが、我慢できず受診することにした。

 

 

症状の再燃したことを号泣しながら医師に告げると、

 

「大丈夫、大丈夫。薬を飲んでいればあと1ヶ月くらいで良くなります。」

 

なかなか眠れないことも困っていることつげると、

 

睡眠導入剤を出しておきます。また、頓服で短時間型の安定剤も出しておきます。」

 

といわれその日の受診は終わった。

 

「本当に大丈夫だろうか、、、。」

 

この予感は的中し、その後も大丈夫ではなかった。

 

苦しみはさらに続いた。

 

脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー④ 激流の症状の正体

2017年5月、病院受診の予約をいれた僕は、安心感など全くなく、

 

ただただ、様々な症状に苦しめられた。

 

5月のGW、、、周りは連休で心浮かれている中、僕は身体的な症状と、不安や焦燥感、孤独感、胸がゾワゾワする感覚といった精神的な症状に苦しめられていた。

 

症状がある中でも、GW中休みながらも仕事は続けていた。

 

治まらない動悸や頻脈、のぼせ、、、

 

運動したわけでもないのに、常に脈拍が100回~120回あり、ドキドキと動機を自覚していた。

 

「胸が苦しい、、、顔や頭がほてっている、、、熱い、、、」

 

少し動くとすぐに息切れをしてしまい、動くことが本当に大変だった。

 

この動悸や頻脈、のぼせもうつ病の症状の一つであるらしい。

 

自律神経系の乱れによって引き起こす症状。

 

顔はほてっているが、手足が無性に冷える、時には寒気すらする。

 

「顔が熱い、頭が熱いのに、すごく寒い、、、どうしてだ。」

 

外や自宅は、春の陽気で温かいのにどうして寒いのか。

 

寒いので、冬物のフリースなどを着て過ごしているけど、すごく寒い。

 

その時の妻に、

 

「寒いから暖房もう少し強くしもていい?」

 

と聞くが、

 

「いやいや熱いよ。」

 

と話され、

 

「そうだよな、熱いよな。俺が変なんだ。」

 

ますます不安になっていった。

 

手足の冷えの原因として、交感神経が優位になり、末梢の(手足の)血管が収縮しすることで、手足の冷えを自覚し、顔面や頭部に血流が集中してしまうために、顔や頭がほてってしまうのだろうと思う。

 

 

また、下痢も頻度が多くなり、市販薬の整腸剤を飲んでも効果がなかった。

 

1日に3回~4回下痢をしていた。

 

「また、下痢か、、、」、「また下痢か、、、」

 

トイレに行くたびに、下痢をしていることに不安感を抱き、その不安感がまた、下痢を呼ぶという悪循環に陥っていた。

 

「下痢があるから、あまり動けない。動くと漏れそうになる、、、」

 

下痢や便通異常も、非常に苦しい。

 

腹痛があるだけではなく、行動も制限させてしまい、精神的な症状を増強させてしまう。

 

【大腸や胃】は、脳と密接に関係しており、ストレスや精神的な負荷があると、下痢や便秘、胃痛といった症状を招くらしい。

 

脳腸相関という言葉がある通り、脳と腸は神経的と連携しており、脳がストレスなどを感じると腸内環境が乱れて、便通に異常をきたす。

 

どうやら、うつ病などの精神疾患と腸内細菌の働きが密接関係していることが最近の研究で明らかになっている。

 

現在、心療内科や精神科において、腸内環境を整えるために管理栄養士による指導も実施されている医療機関が増えている。

 

腸内環境を整えることで、精神衛生が平穏に保たれる。

 

今、冷静になって上記のメカニズムを多少は理解できるが、下痢で苦しんでいるその時は、下痢によって不安になる、下痢によって不安になるの繰り返しであった。

 

さらには、食欲の低下も顕著であり、好きなものなどもほとんど食べられない。

 

「全然食べれる気がしない。いや、食べたくない。」

 

食事を前にしても一向に箸が進まない。

 

1口、2口、、、もう満腹、、、。食べれない、、、。

 

これも、自律神経系の乱れであるらしい。

 

おそらく、うつ病は満腹中枢のある視床下部にも何らかの影響を及ぼしていると思う。

 

あれほど食べることが好きだった僕が、食べることを拒否している。

 

好きだったラーメン、かつ丼、焼肉、カレーライス、、、

 

食べたい気持ちがない、むしろ食べたくない。

 

このように、僕は、訳が分からない身体症状に振り回されていった。

 

原因がわからない身体症状、、、医療従事者でもわからない身体症状、、、。

 

僕は、ますます弱っていった。

 

動悸や頻脈、頻回の下痢、食欲低下が重なり、体重が1~2週間で3~4キロ低下した。

 

減量中のボクサーのように、短期間でどんどん体重が減少していった。

 

このような状態だから、体力がない。

 

うつ病の症状は、体重だけではなく、僕から体力を奪い、気力も奪っていった。

 

うつ病は精神的な病気だけではない、身体的な病気でもある。

 

うつ病は多種多様な症状があるが、身体的な症状の方が多岐に渡るような気がする。

 

心臓の病気かもしれないと感じる【動悸や頻脈】。

 

消化器系の病気かもしれないという【下痢と食欲低下、吐き気】。

 

自己免疫疾患かもしれないという【のぼせやほてり】。

 

人によってはもっと多様な症状が出現すると思う。

 

精神的な症状として、

 

不安感が顕著であった。

 

何に対しても不安感があった。

 

自宅の外にでること、車に乗ること、歩くこと、仕事に行くこと、人と話すこと、、、。

 

すべてに不安感が付きまとった。

 

僕は、いつも明るく元気であり、コミュニケーションも積極的に取り、ユーモアがあり、職場同僚や友人などを笑わせることが得意であった。

 

次から次へと話題が浮かび上がり、人と話ししていると話がつきることがなかった。

 

また、患者さんとの面談、学生への面談も好きであり、とくかく話すことが大好きであった。

 

こんな僕が、人と話すことが怖くなって不安になっていく、、、。

 

訳も分からない不安、歩いていても不安で不安で歩いている感じがしない。

 

浮遊感があり、常に浮いている感覚であり、地に足がついていない感覚であった。

 

文字を読んでも頭に入ってこない【集中力の低下】があった。

 

僕は集中力がある方だと思っていた。

 

読書も好きであり、興味のある200~300ページの小説なら1日で読むことも可能であり、仕事でのメールの返信も即対応できた。

 

そんな僕が、本も読めない、メールも読めない。

 

「どうしたんだ、、、あんなに集中力があったのに、、、」

 

怖くなった。

 

自分自身の変りように、逃げ出したくなった。

 

逃げ出したい僕に追い打ちをかけるように【思考力の低下】も現れた、、、これも顕著であった。

 

ある日突然、コンセントの挿し方がわからなくなった。

 

どのようにコンセントを差し込んだらいいのかわからない、、、。

 

「あれ、何しているんだ僕は、、、」

 

顔が熱くなり、現実が遠のく感覚。

 

軽いめまいをおぼえながら、コンセントの挿し方を必死思い出そうとした。

 

「いったい、どうしたんだろう。」

 

もう、怖くて怖くてどうすることもできなかった。

 

車のエンジンをかけるのも必死だった。

 

そう、思考力低下や集中力の低下は【日常生活の支障】をきたす。

 

しかも、大胆に支障をきたす。

 

今まで何ら問題なくできたことができなくなっていくがうつ病

 

これも症状の一つ。

 

その時は、うつ病だと思っていなかったし、うつ病がこのような症状があることなどの知識もなかった。

 

その時、うつ病についてネットで調べるには調べたが、これら上記症状を目にすることはなかった。

 

いや、

 

「自分はうつ病ではない。明るく元気な僕がうつ病なんてなるはずがない。」

 

と否定していたから、具体的な症状を調べていなかったと思う。

 

 

動悸や息切れ、のぼせ、下痢、食欲低下、集中力低下、思考力の低下、不安や恐怖など

すべての症状が脳から来ている症状である。

 

不安や恐怖などの情動の制御は、大脳辺縁系扁桃体が関与している。

 

うつ病はその扁桃体が反応してしまうことで、不安や恐怖、情動に処理、記憶、価値判断がうまくできなくなり、さらには、扁桃体は交感神経系にも関与してしまうために、動悸や息切れ、下痢、食欲低下を引き起こすと思う。

 

扁桃体を含む、大脳辺縁系に反応を引き越すことで、多種多様な身体的、精神的な症状が現れると思う。

 

この生命の関与する大脳辺縁系が、

 

「もうこれ以上、身体的、精神的な負荷は無理だぞ。もう限界だぞ。」

 

という危険信号を発信し、ストップをかけるためにその大脳辺縁系が反応して様々な症状を引き起こしていると思う。

 

このように、うつ病は脳の病気であると思う。

 

決して、精神的に弱いとかの問題ではなく、また、怠けているとかそのような問題でない。

 

 

この激流の症状の正体は【うつ病の症状】であるが、その時の僕はする由もなく、

 

不安と恐怖の中で受診の日をむかえる。

 

うつ病じゃないよな。うつ病じゃないよな。大丈夫だ。」

 

と祈るように受付を済ませた。

 

待合室にいる患者さんを見ると、当然ながら元気がない。

 

僕も元気がない。

 

病院だから患者さんは元気がないのは当たりまえだが、、、その時の僕は不安材料でしかなく、ますます不安になった。

 

いくつかの種類の心理検査のチェックシートを記入したが、集中力の低下や思考力の低下のある僕では、しっかり記入できる自信がなかった。

 

やっとの思いでチェックシートを記入して、精神保健福祉士さんの問診が始まった。

 

下腹部痛のこと、パニック発作のこと、それから様々な症状のことを話した。

 

話している時に、担当してくださった精神保健福祉士さんの対応がすごく冷たかったことをおぼえている。

 

不安や恐怖を抱えている僕には、この対応はきつかった。

 

この対応がますます不安を呼び、ドクターとの診察前に意気消沈していた。

 

このクリニックは混雑しており(今ではどこの心療内科も精神科も混在しているが、、、)、ドクターとの診察に3時間近く待った。

 

意気消沈して不安な僕は、待って時間が長いことにさらに不安になった。

 

順番がとなり、診察室に入った。

 

入ったとたん涙が出てきて号泣してしまった。

 

号泣している僕に、ドクターは問診票と心理検査を読みながら、

 

うつ病ではないけど、躁鬱傾向がありますね。」

 

と言われた。

 

うつ病ではないと言われたことに、少し安心したせいか、また号泣してしまった。

 

号泣しながらも、さまざまな身体的、精神的な症状のことを話した。

 

「良く耐えてきましたね。あなたは強すぎて我慢しすぎて症状が悪化したんでしょう。」

 

ドクターは僕の話した症状から、

 

自律神経失調症でしょうね。安定剤を1日1錠のやつを出しておきます。1週間様子見てください。」

 

いわゆる、マイナートランキライザー系の抗不安薬を1週間分もらい、クリニックを後にした。

 

「これで良くなるんだ!」

 

薬漬けにされると思ってたに、1日1錠で済んだことに嬉しさを感じていた。

 

「しかし、この先本当に良くなるのか、、、。」

 

と不安も抱えながら、自宅に帰り薬を飲んだ。

 

 

 

脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー③「僕の体、いったいどうしたんだ」

パニック発作から3か月間の自分は、妙にハイテンションであり、

 

常に【のぼせ】ている状態であった。

 

熱があるわけではないし、お風呂に入ったわけでもない、

 

だけど、体が熱いという感覚がいつまでも続き、

 

寒い冬なのに、コートやジャンパーを着なくても平気だった。

 

 

自分で自分の【身体の異常】に気づきながらも、仕事は待ってくれないし、

 

「そのうち治まるでしょう。」と安易考えていた。

 

それ以外にも、更年期障害に似た症状がたくさんあった。

 

肩こり、頭痛、頭重感、腰痛など、体のあちこちに様々な症状がたくさんでてきた。

 

腰痛には、コルセットを巻いたり、痛み止めを飲んだり、、、対処療法的に改善を試みたが一向に良くはならなかった。

 

うつ病の症状には、更年期障害に似た症状が現れることがあるらしい。例えば、上記の私の症状である、のぼせやほてり感、肩こり、頭痛、腰痛、胃痛、便通異常などなど。これらの症状があると、うつ病からの症状である可能性もあるらしい。

 

僕は、様々な症状を自覚しているのに、

 

「俺、大丈夫かな、、、でも、仕事が忙しいしからしょうがない。」と、

 

不安がある中でも、自分の症状を直視するなく、時が流れていった。

 

医療従事者でそれなりに知識はある。

 

様々な医療機関で勤務し、多くの患者さんと関わってきた経験もある。

 

しかしながら、自分の症状となると、

 

自分の症状が怖くなり、不安になり、受け入れられなくなる。

 

知識がある故に、

 

「もし、あの病気だったどうしよう。この病気だったら終わりだ。」

 

と、決め込んでいて受け入れらなかった。

 

なによりも、精神的な症状は多種多様であり、うつ病がこのような身体的症状が伴うことなどの知識がなかった。

 

うつ病に関する本は、今まで数多く読んできた。

 

専門書や新書、体験記などの多種にわたって目にしてきたのに、、、。

 

それだけ、精神的な症状は理解が難しく、複雑なメカニズムなどだろう。

 

だから、うつ病をはじめ、精神的な疾患の社会的認知はまだまだ遅れており、会社や学校でも理解されるのが難しいのもあるかもしれない。

 

うつ病は孤独な病気、、、色々なうつ病の体験記やツイッターを見ていると、他社に理解されるのが難しく、うつ病と付き合うのも大変なのに、孤独とも戦っているという記事を良く目にする。

 

うつ病と孤独、、、これはいつになったら解消されるだろうか。と考えてしまう。

 

うつ病の孤独感にはいくつか種類があると思う。

 

・身体的な孤独感ー人の関わりや触れ合い

・精神的な孤独感ー生きがいとのつながり、感情の相互作用

・社会的な孤独感ー会社や学校などの組織との関わり

 

うつ病は上記の3つすべてが、孤独になる病気なのではないか。

 

病気との付き合いに加えて、孤独とも付き合っていかなくてならないうつ病

 

もちろん、「家族の理解がある」、「恋人の理解がある」、「友人の理解」がある人もいる。

 

きっと、この方たちは、病気が改善するスピードが早いのではないと思う。

 

この理解者がいる、いないの差でうつ病からの回復力が異なってくると思う。

 

いずれにしても、うつ病がもっと社会的に認知され、社会的に受け入れてもらいえるような世の中になって欲しい。

 

病気のメカニズムの解明や治療薬の進展も願うばかりだ。

 

 

 

・・・そんな、うつ病の症状とは知らず、身体的な症状と戦っている時の仕事内容は、プロジェクトを組んで組織自体を立て直していくという、大きな仕事の最中であり、

 

「僕もこの仕事に関われて光栄だ!」

 

と、病気を受け入れる時間がなかった時期でもあった。

 

このような状況などが重なり自分の症状を無視していった。

 

この【症状の無視】によって、身体的にも精神的にも病魔にどんどん蝕まれていってことなど、その時は知る由もなかった。

 

あの急激な状態変化まで、刻一刻と迫っていた。

 

仕事の面でも、パソコンの画面が追えなくなり、メールの文字が頭に入ってこなくなった。

 

以前なら、メールを読むことなど瞬時に把握し理解できていた僕が、メールが読むにしても、2、3回同じ文章を読まないと理解できなくなってきた。

 

テレビにおいても、番組表をチェックしようとするが、全然頭に入ってこない。

 

無理に文字を追っていくと吐き気がでてきたり、めまいが出現してきた。

 

この時は既に、脳の機能低下および自律神経系が大きく乱れたのだろう。

 

思考に関わる前頭葉の機能が落ちてきたのだと思う。

 

そして、イライラや易怒性も頻繁になってきて、いつも目がギラギラしている状態でああった。

 

交感神経が優位になりすぎていたのだろう。

 

うつ病は、脳の病気あるということが良くわかる。

 

イライラしすぎて、人間関係がこじれる可能性もあるうつ病、、、周りの人が妙にイライラしていたり、ギラギラしている時は要注意である。

 

その人が、仕事人間やストレスを抱えているようであれば、さらに注意が必要である。

 

とにかく休ませる。仕事から遠ざける。適切な医療機関やカウンセラーに相談するなどの対処が必要だと思う。

 

イライラやギラギラは、かなり大きなサインである考えている。

 

 

 

脳の機能低下の症状がさらに続き、出張先でも、問題が起きた地図が読めなくなって道に迷うことが多くなり、打ち合わせ先の方に迎えにきてもらう事もあった。

 

体力に自信のあった僕が、疲れやすくなった。

 

もともと、お腹は弱い方だが、下痢が頻繁になり、打ち合わせ中でもトイレに行くことが度々あった。

 

「なんか調子が悪いな、でも、ただの疲れだよな、、、」

 

頭が回らない自分に、不安をおぼえながらも、少し休めば良くなだろうと思っていた。

 

睡眠も休みの日なら、昼頃まで眠っていたが、早朝覚醒が頻繁になり、ゆっくり眠ることができなくなった。

 

「もっと寝たいのに、眠れない、、、。」

 

歩いてときも、発熱しているような浮遊感があり、フワフワ浮いている感覚であった。

 

出張先でも、すぐに疲れてしまい、息切れするようになってきた。

 

打ち合わせも上の空で全く頭に入ってこない。

 

下痢も続いていた。

 

飛行機で出張から戻り、空港から自宅までの車なかでは、寒くもないのに異常な手の震えや体の震え、焦燥感、胸がゾワゾワする感覚があり、何度も何度も深呼吸をしたが、一向に落ち着かなかった。

 

とにかく頭が回らない、思考力の低下が顕著だった。

 

次の日、仕事を何とか終わらせたが、胸のゾワゾワ感、焦燥感が治まらなく、疲労感もすごかったために、

 

「明日休まさせて下さい。」

 

久しぶりの休むを申し出た。

 

この時は、

 

「少し休んだら良くなるだろう。」

 

と考えていた。

 

その時は夜は何とか眠れたが、早朝覚醒は相変わらずであった。

 

あんなに好きだった昼寝もできなくなった。

 

休みだから、気分転換に散歩でもしようと思って行ってみるが、

 

気分的にも良くならず、焦燥感やゾワゾワ感は継続しており、

 

さらには、漠然な不安感が頭を支配していった。

 

何に対する不安かもわからない、漠然たる不安感、、、

 

不安で不安でどうしようもなかった。

 

その時は、何も不安になることなど持ち合わせていなかった。

 

うつ病と不安感は表裏一体、、、脳の扁桃体といわれる部分は、不安や恐怖といった感情に関わっており、うつ病や不安障害を抱えている方はこの扁桃体の機能異常がある可能性があるらしい。

 

これも見ても、うつ病は脳の病気なのだと思う。

 

次に日には、脚のふくらはぎの部分が鉛の様に重くなった。

 

鉛様麻痺・・・手足が鉛のように重くなってしまううつ症状の一つらしい。

 

また、脱力感が半端なく

 

「足が重いし、元気がでない、、、やばいなこれ、、、」

 

昼寝しようにもできない、休みたいけど不安感があり、ゆっくりできない休めない。

 

「僕の体いったいどうしたんだ。」

 

不安感が頭を占めるようになり、外に出るだけでも不安があり、車に乗ることや買い物に行くことなど1人では不安でできなくなっていた。

 

同僚に相談すると、何も悲しいことがあるわけではないのに、涙が溢れてきて、訳もなく号泣していた。

 

「何も悲しいことがないのにどうしたんだろう?」

 

自分で自分の状態わからなくなった。

 

その時にも相談したが、

 

「はぁ? おかしくなったの?」

 

と一蹴され、僕の状況を見てイライラしていた。

 

近くの薬局で、不安感などに効果のある漢方薬や神経薬を買って飲んだが全く効かなく、ますます症状が悪化するばかりであった。

 

食欲も極端に低下した。

 

全く食べられない。

 

おにぎり一個がギリギリであった。

 

下痢も継続していた。

 

脱力感、気力の低下、、、

 

「これは、心療内科か精神科に受診するしかないか、、、。」

 

うつ病かもしれない、いや大丈夫だ。」

 

と、同じ問答を繰り返しがら、ネットで調べて近くの心療内科に電話した。

 

10日後に受診予約ができた。

 

ただ、この10日間が異様に長く、症状の悪化を招いたと思う。

 

仕事に行きながらも、不安感、焦燥感、胸のゾワゾワ感、脱力感、気力の低下があり、何もできなくなっていった。

 

職場の人からも、心配された。

 

自分でも自分のことがわからないため、どのように説明していいかわからなかった。

 

そして、受診の日がやってきた。

 

脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー②謎の体調不良が続く

 2017年1月に人生で初めてのパニック発作を引き起こした僕は、

 

パニック発作ってすごい苦しいんだな、、、死ぬかと思った」

 

と死の恐怖に直面してた。

 

これは経験しないとわからない苦しみと恐怖であった。

 

医療従事者として、何人もパニック発作の方を見てきたが、その苦しみを理解できない自分がいた。

 

異常な頻脈と不整脈、呼吸ができないほど苦しい過呼吸、、、冷汗、、、

 

本当に苦しい発作であった。

 

 

しかし、その日は、パニック発作を起こしたのにも関わらず、一睡もしないまま仕事の打ち合わせに向かった。

 

何故、病院を受診しなかったのか、、、

 

仕事人間である自分は、大事な打ち合わせの方がその時は大切だったからである。

 

その後の、パニック発作から自律神経失調症うつ病へとつながる自分の状態を知っていたら、まっさきに病院を受診して適切な治療や生活習慣の見直しができて、悪化を未然に防げたかもしれない、、、人生を大きく変える出来事も起こっていなかったかもしれない。

 

これも運命なのか、、、

 

パニック発作を起こした僕は、当然体調は優れなかった。

 

顔面の硬直、異常な寒気、虚脱感、脱力感、浮遊感、のどの違和感、、、こんなに身体的な不調もあるのに、仕事だけはノルマをこなしていった。

 

出張が終わり、自宅に帰宅しても上記の体調不良は続いている。

 

(お腹の痛みは自然と消えていたが、何かの拍子に出現してくることがあった。)

 

特に、喉の違和感が強く、水を飲んでも何をしても消えることはなかった。

 

「これはいったい何だろうか」と疑問を持ち調べてみると、

 

喉の違和感、、、これは「ヒステリー球」と呼ばれるものらしい。うつ状態自律神経失調症など精神的なストレスなどで現れる症状の一つであるらしい。

 

「精神的な問題か、、、自分は大丈夫だろうか、、、いや、大丈夫、大丈夫そのうち良くなる。」

 

と自分の体の異常気づきながらも、時間が経てば治ると安易に考えていた。

 

それよりも、仕事が山積みだったから、何よりも仕事、仕事、仕事、仕事優先にしながら、過ぎ去るのを待っていた。

 

おそらく、この時は、自分の体の異常が怖かったのだろう。

 

自分がパニック発作を起こし、うつの症状があるのが怖く受け入れられなかったのだと思う。

 

だから、自分は大丈夫、自分は大丈夫と虚勢を張り、適切な病院を受診しなかったのだろう。

 

また、当時の妻にも相談するのが怖かったのもある。

 

「妻に相談したところで、無視されるか、流されて終わりだろう。無理でも病院受診させる人でもないし、心配もかけたくないから相談しても無駄だな。」

 

と、誰にも相談しないまま時は過ぎていった。

 

症状があったに何故、誰も相談しなかったのか、、、

 

これは、自分に不調に気づかれるのが怖く、また、相談したことで自分が病気であることを受け入れるのが怖かったのと、その時の仕事のプロジェクトから外されるが怖かったのが原因と思う。

 

仕事が楽しくして、やりがいがあり、生きがいであった。

 

そんな仕事と離れるのが怖かった。

 

妻や同僚に心配されるが怖かった。

 

周りから変な目で見られるのが怖かった。

 

今まで、職場では一位、二位で突っ走ってきたプライドが崩れるのが怖かった。

 

自分ならそのまま体調が良くなるだろうと、自分は大丈夫という無駄な自信。

 

今まで自分はどんなことでも乗り越えられたという無駄な自信。

 

上記のすべてが理由で誰にも、どこにも相談しないまま、

症状がある中でも、僕は変わらず休みなく仕事をしていった。

 

恐怖感と僕なら大丈夫という自信、、、これが僕の治療を遅らせていった。

仕事へのプライドも治療を遅らせる原因であった。

 

 

 

今でも鮮明に覚えている症状としては、妙にハイテンションであった。

 

いつでもどこでもハイテンションであり、いつでもどこでも頭に血が上っている状態であった。

 

言い換えれば、のぼせている状態であった。

 

 

(これもうつの症状らしいことが後からわかった。うつ病自律神経失調症により、自律神経のバランスが崩れ、交感神経が優位になりのぼせやほてりなどがあるらしい。)

 

ハイテンションであったから、仕事もハイになりながら続けていた。

 

逆に、妙に人前で緊張もするようになった。

 

今まで、プレゼンや講演などあまり緊張することがなかった僕が、人前などで妙に緊張していた。

 

そして、その緊張を隠そうと、常に強がっていた。

 

また、すぐにイライラしてしてしまうのもこの時からあった。

 

人のミスや業務進捗具合に常にイライラしていた。

 

「なんでできないの?すぐにやらないとダメだよ!」

 

、と今まで言ったことがないような言葉を発することや、常に胸の中がモヤモヤ、イライラが充満している状態であった。

 

(このイライラも、うつの症状の一つであるらしい。イライラは、「衝動性の亢進」や「情動の不安定」であるために、うまくコントロールしないと、イライラして相手や物に当たってしまい、人間関係がうまくいかないことや、物を壊してしまうことがあるらしい。)

 

このようなイライラの本当の原因を知らない僕は、仕事でうまくいってない、周りが僕についてきていない、、、などと自分勝手な理由をこじつけてしまい、自分を追いつめていくことになる。

 

この状態が、3か月続いた。

 

体調は良くない、イライラする、ピリピリする、、、人間関係も壊れそうになった時もある。

 

相手が冷静な対応をしてくれたから良かったものの、今となっては救われたと思っている。

 

そのくらいうつ病のイライラは、同僚や家族、友人に対して影響を及ぼすものである。

 

医療従事者であろうと、専門的に勉強していないと病気についてわからないことがたくさんある。

 

特に精神的な症状は、難しいものであると今になって思う。

 

うつ病という自覚がなく、自分は大丈夫と思っているからなおさらである。

 

その時に、もし適切な病院に受診していたら、どのような人生になっていただろうか。

 

結局はうつ病になり、今のような経過をたどるのだろうか。

 

今は、うつ病になって良かったとは思わないけど、人生を見直す良いチャンスなのかなと思っている。

 

そうチャンスと思えているなら幸せです。

 

今まで、仕事や家庭のことがありしたいこともできなかった。

 

今は、病気を持っているが自由といえば自由、やりたいことができる。

 

そう思えるだけで幸せですね。そう幸せなのです。

 

 

・・・パニック発作に襲われて、その後の体調不良が続き、イライラ、ピリピリが続き、、、

 

さらには、パソコンのメールの文字やテレビの字幕について、読めるのだが、頭に入ってこなくなってきた。

 

うつ病による集中力の低下があるためらしい。脳の機能低下によって起こるものらしい。ちなみに今でも時々あります。)

 

パソコンや字幕が頭に入ってこない自分に、

 

「俺いったいどうなってんだ???」

 

と、怖くなった。

 

そして、睡眠の変調から、急な落ち込みがやってきた。

 

 

脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー①突然その日は訪れた

うつ病は「心の風邪」と言われているが、薬を飲んで栄養をとり、寝ていれば数日で治る風邪とは全く異なる苦しい病気である。

 

私は、発症から約2年経過しているが、現在もなおうつ病と共に苦しい日々を生きている。

 

突然のパニック発作から始まり、喉の違和感やのぼせ、自分が自分では感覚、イライラして怒りっぽくなる、眠れない、疲れやすい、不安で不安で一人でいられない、涙が止まらない、予期不安、広場恐怖、対人恐怖などなど、様々な症状と付き合ってきた、、、、うつ病と付き合いながら、人生においても色々なことが起こりました。

 

離婚、親の病気、幾度の入院、休職、、、(孤独感が半端ない経験)

 

この2年間で、とてつもなく、そしてめまぐるしく、壮絶に人生が変わりました。

 

このブログを始めたきっかけは、

 

うつ病と共に生きている過去から現在を振り返り、自分を客観視していきたい」

 

と考え、自分の闘病と今後必ずくるであろう「うつヌケ」の歴史を築きたかったからです。

 

と、まあ、固い表現や重くなる文章でしたが、気楽に自分の闘病と振り返ってみて、

うつ病のつきあい方、やっつけ方を模索していけたらいいなと思っています。

 

私は、医療従事者であり、教員であり、研究者でもあり、病気については一通りの知識があるが故に、

 

「まさか、自分がうつ病になるなんて」や「もう人生終わったな」、「こんなに頑張ってきたのに、何故僕が!」とか色々と考えていました。

 

医療従事者だから知識がある故に、ものすごく怖くてたまらなかったです。

 

そんな、僕とうつ病の出会いは、突然やってきました。

(突然でもないかもしれないですが、、、)

 

あれは、2017年1月、

 

仕事で大阪に出張中のホテルでそれは起こりました。

 

午前2時頃、突然の吐き気とともに心臓がバクバク、過呼吸、、、

 

そう、パニック発作を起こしたのです。

 

もう苦しくて苦しくて。

 

脈拍を測ったら、1分間に200回の不整脈、、、呼吸もうまくできない、、、苦しい、、、

 

しかし、医療従事者の僕は、

 

「これはパニック発作だから、時間が経ち、落ち着けば治まる」と考えながら、パニック発作が治まるのをベッドの上でこらえていました。

 

今までパニック発作の方を何人もみてきているので、勝手な経験的な判断で一人でこらえていました。

 

「明日は大事な打ち合わせがあるから、休むわけにはいかない。」と仕事人間の僕は必死にパニック発作が治まるのをこらえて待っていました。

 

あの時もしくは、次の日で病院に行っていれば、今のこの苦しみは軽くなっていたかもしれない。

 

3~4時間後に、不整脈もわずかになり、呼吸も落ち着き、パニック発作は治まってくれました。

 

その日は、一睡もできずに苦しみの中朝を迎えて仕事の打ち合わせに向かいました。

 

 

 

、、、今までは、突然、このパニック発作を起こしたと思っていました。

 

そうパニック発作自体は突然でしたが、パニック発作につながる体調不良、いわば前兆はあったのです。

 

2016年12月末からのお正月休みに、私はその時のパートナーと海外旅行に行っていました。

 

毎年恒例の海外旅行、いつもなら楽しめる旅行も、この時は何とも楽しめない自分がいました。

 

そして、年が変わり、2017年の仕事はじめから身体に違和感がありました。

 

右側の下腹部が痛いというか張っている感覚があり気になっていました。

 

便はしっかり出ている、色も異常がない、食欲もある、しかい右下腹部が痛い、、、

 

「なんだろう、、、まさか深刻な病気なのでは」と医療従事者故に、色々な知識があるから、よからぬことずっと考えるようになった。

 

「この病気ではないか、あの病気ではないか、いや、この病気に違いない」など想像がどんどん膨らんでいった。

 

知覚の内科を受診して、レントゲンや血液検査結果は異常なし。

 

尿管結石があるかもしれないと指摘を受け、泌尿器科を受診したが異常なし。

 

しかし、異常がないことに安心できない自分がいた。

 

「まだお腹が痛いし張っている、きっと別な病気なんだ」と思い込み、

 

大腸専門の病院など色々な病院を受診していった。

 

どこの病院も異常なし。

 

「なんだろうこのお腹の痛みは!いったい何なんだ!」と病院で異常なしといわれるたびに大きくなっていった。

 

(おそらく、この時は、ヒポコンドリー性基調的であり、心気症になっていたのでしょう。)

 

日々、お腹の痛みのことを考えていると、自宅でめまいやら頭痛やら、急に血液が全身を巡る異様な感覚を体験した。

 

そして、大阪出張でのパニック発作とつながっていったのです。

 

 

今考えると、仕事や家庭での身体的、精神的負担(休むことなく働いていましたし、自宅でも仕事持ち込んでPCとにらめっこしていました。家庭でも気を使ってばかりいましたね。)が蓄積していき、ストレスによる腹痛だったのではと思います。

 

その時は、上記のようにストレスなんて考えいなかったし、心気症(ヒポコンドリー性基調)なんて自覚もなかったですから、当然、パニック発作を起こしたのにも関わらず、適切な病院に受診もしなかった。

 

その後、パニック発作は起こさなかったけど、体調不良は続いた。

 

体調不良があったのに、仕事を優先して、歯を食いしばりながら頑張りすぎていった。