脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー⑨新しい薬
入院3日目。
昨晩もほとんど眠れなかった僕は、つかみどころのない不安感に苦しめられていた。
頭も働かない。
例えてみれば、脳がゼリーの覆われているような状態であり、自分の行動が自分ではない感覚であった。
「夢をみているような感じだ。」
立つこと、歩くこと、水を飲むことなどなど、夢の中にいるような感覚で行動をしており、自分の行動とは思えない感覚であった。
これが抑うつ状態の一つの状態であると思う。
脳の機能が低下しており、何に対しても意欲が湧かなく、頭が常に重い状態。
肩こりの時に、帽筋などの筋肉の血流が滞っている状態で、肩が重だるい感覚になると思うが、抑うつ状態では脳が血流不足になり、頭が重だるくなっているのではないだろうか思ってしまう。
私の場合は特に、前額部が顕著に重く怠くなり、おでこなどが硬直してしまう症状があるために、前頭葉の血流不足があるのではないかと考えられる。
現在、米国の方ではTMS磁気治療が、脳の血流(特に前頭葉)うつ病の方に有効であるということで治療として用いられている。
このことからも、脳の血流不足によって肩こりのように、脳がゼリーに覆われているように頭が重だるくなっているのではと思う。
脳の機能低下であるから、当然、集中力の低下や思考力の低下が生じる。
新聞を読めない。メールが読めない。車のエンジンがかけれない。歯みがきができない。コンセントがさせない。
すべて脳の機能低下である。
しかし、まだまだ一般的には、「メンタルが弱いだけ。」で片づけられるだろう。
「朝になった。カーテンでも開けるか、、、。」
ほぼ眠れないまま朝になり、自分の部屋のカーテンを開けると太陽が突き刺してきたが、何も感じない状況であり、天気のことなども頭に入ってこない。
雨だろうが晴れだろうが、曇りだろうか、何も感じない。
ただ眠れなかったことだけで頭が一杯であった。
「まだ、6時30分か。食事までまだ早いな。」
食事時間は8時であるため、それまでに働ない頭で必死に洗面をする。
8時になり、朝食を食べるが、いつものようにただ口に入れているだけであり、味わうとかそうような感覚はない。
「飲み込みも悪いし、お腹も空かない。」
症状が一つ、また一つ増えるたびに、不安感が強くなってくる。
入院しても不安があることに変わりなかった。
「本当に入院して良くなるのだろうか。このまま不安や頭が働かない状態が続くのではないだろうか。」
と、不安で落ち着かない状況であった。
不安で落ち着かないと、「死」へのイメージも強くなり、
「このまま死んでしまうのではないか。」
と死へ引き込まれそうになる。
自分でコントロールできないので、
「衝動的に行動したらどうしよう。」
「自分は今何するかわからない。」
自分の行動に恐怖を覚えていた。
同じ病棟に入院している患者さんは、落ち込んでいる人、泣いている人、元気そうな人、普通に見える人など、色々な患者がいた。
食事をするところでは、仲の良い患者さん同士でお話しをしたりして和気あいあいとしている場面もあった。
その患者さん同士で話をしている会話がたびたび僕の耳にも聞こえてきた。
「昨日は頓服薬3回も飲んだのよ。」
「先生なかなか薬を変えてくれないから辛いのよ。」
など、他の患者さんも辛いんだなと感じることができた。
午前中、検温の時間になり看護師さんが部屋に入ってきた。
看護師さんには、常に不安感や恐怖感があり落ち着かないこと、眠れないこと、下痢が持続していること、食事の飲み込みが悪いこと、のぼせ、動悸があることなど、今自分が困っている症状を伝えた。
僕はこの3日間、看護師さんの検温の際には毎回号泣しており、
「僕はどうなってしまうのか。」
と泣きながら訴えていた。
医療従事者であり、中年のおじさんであり、男であり、、、そんなことはどうでも良く、自分でも制御できないまま、看護師さんが来るたびにいつも涙ながらに自分の辛さを訴えていた。
看護師さんは、ゆっくりと気長に聞てくださり、一つ一つのことを安心させるように返答してくれた。
「それもうつの症状です。抑うつ状態が改善すれば、必ず良くなります。」
何度も何度も僕に気長に答えてくれた。
「必ず良くなるか、、、。」
僕は看護師さんのこの言葉に救われていたが、一方で、消えない不安感があるために、自分が良くなるイメージが湧いてこなかった。
看護師さんから、
「今日先生の診察がありますので、お部屋で待っていてください。」
先生の診察で、薬の調整があり少しでも症状が良くなればいいなと、全身脱力状態ながら希望を抱いた。
僕は、下痢にも悩まされた。
看護師さんの検温が終わって、トイレにいった。
「また、下痢か、、、。」
約2か月前から、1日に3回以上は下痢をする。
下痢をするたびに、落ち込んでいるところにさらに落ち込み不安が大きくなっていた。
下痢を繰り返すと本当に疲れる。
ただでさえうつ病で疲れているのに、追い打ちをかけるように下痢でさらに疲れてしまう。
入院病棟のトイレで下痢で苦しんでいると、
看護師さんが、
「大丈夫ですか。今から先生の診察ですので、トイレが終わりましたらナースステーションに来てください。」
と声をかけてきた。
「は、、、い、、、。」
これが精一杯の返答だった。
眠れない、不安、下痢、、、さらにさらに、、、と、うつ病は人間を究極まで追い込む病気であることがわかる。
「心の風邪」なんてなま優しいものでなはい。
うつ病はいとも簡単に、1人の人間をならくの底に落としてしまう。
トイレから出てきて、ナースステーションに向かった。
「順番にお呼びしますのでお待ちください。」
順番まちの間、
「薬が増えるんだろうな。どんな薬を飲むことになるんだろう。」
と、不安になりながらそわそわしていた。
順番が呼ばれ、診察を受けた。
「新しい安定剤を出しますので、飲んでみてください。これで不安感は軽くなると思います。今日の夜から飲んでください。」
朝・夕に1錠ずつの安定剤がでた。
診察後、
薬が増えたことへの不安、、、。
新しい薬への不安、、、。
今後への不安、、、。
余計に不安が増してきた。
「でも信じるしかない。入院しているんだから。」
と、消えない不安感に耐えながら夕食を待った。
夕食までは、いつもように不安と戦いながら、ベッドに横になったり、外の空気を吸ったりとしていた。
それでも全く落ち着かない。
横になれば、「死」などのネガティブな考え浮かび苦しくなるから昼寝なんかできない。
夜も寝ていないのに、昼寝もできない。
また、このころは、被害妄想や貧困妄想、心気妄想などが出てきており、認知の歪みが生じていた。
自己否定や将来への不安。
そう、私は抑うつ状態の時に呈する「否定的認知の3徴」が現れてきたのである。
否定的認知の3徴とは、自己否定(自分自身に対しての否定)、他者(世界)否定(周囲との関係に対して)、将来に対しての否定であり、抑うつ状態になるとこの3つの否定な認知の歪みが生じてくるらしい。
この認知の歪みがあるまま生活していると、落ち込んでいるのに、さらに落ち込んでしまい、日常生活に支障をきたしてしまう。
また、対人関係にも影響するために、より良い人間関係が崩れていく可能性があるらいしい。
不安や恐怖感と戦いながらも、この否定的認知の3徴にも苦しめられており、「死」へのイメージも強くなり、もうどんどん負のスパイラルに追い込まれていく。
しかし、自分では何もできない。気の持ちようではない。
脳が勝手に指令を出してしまうので、苦しむしかなかった。
「自分はダメな人間なんだ、、、。」
「周りに迷惑かけてばかりだ、、、。」
「このままどうなってしまうんだろう、、、。」
死への恐怖と戦いながら頭の中は自分を責めてばかりいた。
元気の頃なら、「暇」を持て余してしまうと思うが、上記のような苦しみがあるので、全然暇ではない。
暇という感覚にならないのである。
苦しむことで疲弊しきっていて、休息が必要なのだろうけど「休めない」のが本当に辛い。
うつ病は、休みたいのに休めない病気でもなる。
暇を感じないのがうつ病などだろう。
甘えではない。
病気が動けなくさせているのだ。
ようやく夜の薬の時間になり、新しい薬を飲むことができた。
飲んで、1時間後、2時間後、、、変化はない。
変化のないまま、就寝時間になり睡眠薬を飲んだ。
「新しい薬、、、効果はないな。」
最初に飲んだ感想はそうだった。
効果はないが、副作用もない。
睡眠薬を飲んだが、相変わらず2時間程度しか眠れず、深夜1時頃に目が覚めて、そのまま朝を迎えた。
いつもよりは不安感が多少は軽減されているような感覚であった。
「少しは効いているかもしれない。」
眠れないで朝を迎え、いつもように朝食を食べた。
「あれ、飲み込みがいつもよりいいぞ。食欲も多少あるぞ」
と昨日に比べて変化が見られた。
さらなる変化は、この3日間毎朝の検温の時は、号泣して看護師さんに苦しみを訴えていたが、この日は、号泣せずに看護師さんをお話ができた。
「泣かないで話することができた。」
不安で落ち着かなかった行動も、多少は落ち着いてきた。
「これは、効いてるんじゃないか。」
と、新しい薬に期待を寄せていった。
新しい薬は、ベンゾジアゼピン系の薬ではなく、抗精神薬に分類させる精神安定剤である。
効果時間は長く、ベンゾジアゼピン系よりも効果は強力であるらしい。
また、ベンゾジアゼピン系に見られる依存性や耐性は少ないとされている。
僕は、現場経験上、この薬のこと知っていた。
鎮静作用が強いことで知られていたので、これを飲むことで過鎮静になるのではないかと不安に思っていたが、そのような過鎮静になることはなかった。
「このまま不安感が消えれば仕事にまた戻れるかもしれない。」
まだまだうつ病について受け入れていない自分がいて、考えが甘かった当時であったが、新しい薬に期待をしていった。