脱出のトライアングル -シーズン1「発症から苦しみの道程」ー⑥壊れゆく自分
受診から帰宅しても、不安感が治まらなかった。
この不安は、何か対象があるわけでない。
漠然としていて、とにかく何に対しても怖く不安であった。
自宅から外にできることや車に乗ること、誰かと会話すること、ご飯を食べること、水を飲むこと、トイレに行くこと、とにかくすべてのことに不安や恐怖がつきまとった。
不安感が消えない僕は、クリニックで処方された頓服薬を服用した。
「これを飲めばいくらか軽くなるのか、、、」
と半信半疑になりながら、薬を飲んで様子を見た。
1時間後、多少は不安感なども軽くなったような気がしたが、漠然たる不安感は消えることはなかった。
僕は、長時間作用型の抗不安薬を朝に1錠飲んでいる。
それに加えて、頓服薬を1錠飲んだ。
「1日に安定剤を2錠飲んでいるので、全然効いてない、、、どうしたんだ、、、。」
「何故、この気持ち悪い不安感や恐怖が消えないのか、、、。」
「本当に自律神経失調症なのか、、、。」
様々な症状に振り回されてきたことで、自分がどうなってしまうのか、怖くて怖くてたまらなかった。
「医師は1ヶ月くらいで良くなると言ってたよな、、、。」
この医師の言葉をまだ信じていた。
さきほど飲んだ頓服薬は、短期時間作用型の抗不安薬であり、約5~6時間で効果が消失すると説明されていた。
頓服薬を飲んで5時間後、異変は起こった。
急速に今ままでよりも強烈な不安感が襲ってきた。
めまいもするし、座っていても倒れこみそうになる。
不安感と恐怖で自分ではない何かにコントロールされたような感覚になった。
「もうだめだ、、、俺はどうなってしまうんだろうか、、、。」
症状に振り回されている自分、、、。
その時は振り回されているという感覚はなく、ただただ、様々な症状に苦しんでいた。
不安感や恐怖感、思考力の低下、集中力の低下、下痢や食欲の低下などに加えて、
動悸、息切れ、のぼせ、不眠、胃痛、、、、すべては【うつ病】の症状である。
しかし、その時は自分がうつ病であることを否定していたし、医師からもうつ病ではないと言われていたので、うつ病の症状であることなどと微塵も思っていなかった。
うつ病の患者さんとも何度も関わったことがあるが、私みたいな症状がある患者さんとは接したことがなかった。
だから、うつ病の症状がこのような多様な症状を呈するとは思ってもみなかった。
いや、勉強不足なのだろう。
うつ病は、扁桃体をはじめ大脳辺縁系が異常に反応している病気なのだから、身体的、精神的な症状が出てきて当然なのだから。
うつ病の症状とは知らずにいた僕は、
「いつになったら治るんだ。薬はちゃんと飲んでいる。なのに何故だ、、、」
日に日に強くなる症状によってさらに不安感が増していった。
体重もますます減ってきた。
胃痛、胃もたれ感が強烈になってきて、食欲の低下がさらに強くなってきた。
水を飲むことが精一杯であった。
なんとかバナナを口にするが、すぐに吐き気がきて全部食べることがきない状態であった。
妻には食べられない事情を話すが、なかなか理解されなかった。
また、症状についても相談するが、これもまたなかなか理解されるのが難しかった。
体重が減り、変わりゆく自分をみて同僚は、
「ストレスだよ。しっかり休んだ方がいい。」
と言ってくれるが、休み方をしらない僕は、【休む方法】がわからなかった。
もうここまで症状が進行している状態で仕事をすることは、ますます状態を悪化させることにつながるだろう。
今思えば、ここで休みを取った方がよかったのかもしれないが、仕事を休み1人で家にいても、苦しくなる一方のような気がしていた。
僕は、不安で不安で自宅に1人でいることができない状態であった。
自分で自分をコントロールできない不安感や恐怖感、様々な症状、、、。
このうつの症状を理解してくれる人がいるのだろうか。
「精神的に弱いだけ。」
の一言で片づけられるだろう。
これが今の世の中だと思う。
理解してもらいたいと必死に訴えるが、それだけでは理解されることは難しいだろう。
うつ病の急性期、回復期、寛解期のなかで、最も理解されにくいのが急性期なのではないかと思う。
この急性期に、だれか身近に理解者がいれば認知の歪みを最小限におさえられ、長い経過をたどらずに回復が早いのでないかと考える。
うつ病は理解されにくい孤独な病気、、、。
過去に関わったうつ病の方は、孤独だと口にしていたことを思い出す。
・・・
頓服薬の効果が切れて症状の嵐と戦っていた。
夜になり、睡眠薬を飲んで寝れば症状が治まるかもしれないと、一筋の希望を持ちながら、睡眠薬を飲んだ。
睡眠薬にも、抗不安薬と同じように、短期作用型、中期作用型、長期作用型と分類されており、また、不眠の状況によって(入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒など)適切は睡眠薬が処方される。
抗不安薬と同じように、耐性や依存性も存在する。
僕は先生には、入眠困難であることと早朝覚醒があることを伝えたが、過去に使用した経験のあることが理由で、短期作用型の睡眠導入剤が処方された。
「これを飲んだら眠れるよな。昔はこれを飲んだらぐっすり眠れたし、、、大丈夫だよな。」
と自分に暗示をかけて睡眠薬を飲んだ。
入眠は問題なかったが、3時間くらいで覚醒した。
「全然、眠れていない、、、。まだ、夜中の2時だよ、、、。」
睡眠時間は3時間くらいの確保でやっとであった。
夜中の2時に目を覚まし、朝まで起きて仕事に行く。
身体的、精神的な症状を抱え、3時間の睡眠時間で仕事に向かう毎日であった。
体は弱っていく一方であり、日に日にげっそりしていた。
思考力の低下や集中力の低下も進行しており、文章も読めなくなっていた。
人と話しするだけで涙が溢れてきて、会話にならない。
前回の受診から1週間後、状態が悪くなる一方であり、夜も眠れない状況であるために、受診の日ではなかったがクリニックに行った。
「調子悪い日もありますよ。しっかりと薬を飲めば1ヶ月後良くなります。睡眠薬は前回よりも長く効く薬を出しておきます。」
睡眠薬だけ変更になった。
「1ヶ月で良くなる、、、。最初受診からもう少しで1ヶ月なんだけどな、、、ますます悪くなっているんだが、、、」
その日の夜、変更した睡眠薬を飲んだが、一向に眠ることができなかった。全く眠れない、、、眠れないことに余計に不安になり怖くなった。
眠れないことで、ただでさえない体力をどんどん奪われていった。
1人になれば不安感があるので、仕事に行く、どんどん弱まる、、、負のスパイラルに飲まれていった。
私の状態を見その時の妻も、だんだんイライラしていった。
私に大声を出したり、きついことを言ったり、今までの過去の失敗を引っ張りだし、僕をとがめた。
きっと、そばで私の状態をみるのが辛かったのだろう。
逃げ出したかったと思う。
妻の苦しみは今となり、やっと理解することができる。
家族も辛い状況になる、苦しんでしまううつ病、、、うつ病は当人だけではなく、周りも苦しめてしまうという特性がある病気だと思う。
うつ病は、理解されるのは難しいが、家族や周りの人を巻き込み苦しめてしまう。
うつ病は認知の歪みがあるので、人間関係には注意が必要と思う。
身体的、精神的な症状で苦しんでいる中で、その苦しみで自分よがりになり、認知が歪んでしまう。
苦しいには自分1人なんだ!何故理解してくれない!調子が悪いことを理解するべきだ!
と自分だけが苦しいと思ってしまう。
うつ病の症状が苦しい急性期の時は、周りがどう思っているかは考えられない。
しかし、苦しいのは自分1人ではない、家族も苦しいんだと思う。
妻もイライラしてきており、自宅でも職場でも自分の居場所がわからなくなった。
「僕はどうすればいいんだ。どうすれば、、、。」
症状が続く中、自分が何を信用し、どこにいけば安らぐのか、どこにいればいいのか、
何故症状が治まらないのか、すべてがわからなくなった。
仕事も全く使い物にならなく、、、自分を責める。
家でも妻にイライラさせてしまい、、、自分を責める。
自宅にいることが苦痛になってしまい、妻を休ませるためにも2日間ほど実家に帰った。
親には当然心配された。
「いい年なのに、親に心配かけて、、、。情けない。」
と自分を責める。
どこにいても自分を責めるようになってきた。
昼寝しようにも不安感や胸のザワツキ、ネガティブなことを考えてしまいできない。
食事も食べれない。
夜も眠れない。
髭剃り、歯磨き、整髪もやっとできる程度。
「風呂は入れるだろうか。」
と不安に思いながら、やっと入れるが疲れてしまう。
何も意識してなくできたことが、できなくなってきた。
これはすべてうつ病の症状、、、。
そうとは知らずに、
「医師が言っていた1ヶ月は過ぎたが、良くなっていないどろかますます悪くなっている。もう限界かも。もう俺はだめだ。」
壊れていく自分を受け止められなくなり、どうしていいかわからなくなった。
壊れていく自分。
光が見えない自分。
どうしていいかもがくこともできなくなった自分。
「おれ、死ぬかもしれない、、、。」
この恐怖に支配されるようになった。
実家から自宅に戻った僕は、仕事が休みだったので、自宅にいた。
「おれ、死ぬかもしれない。」
この恐怖と不安で、妻に泣き叫んで助けを求めた。
妻も泣いていた、、、。
辛かったのだろう。
妻が出かけ自宅に1人になった。
死ぬかもしれないという恐怖に支配されていた僕は、不安で仕方がなかった。
ソワソワして落ち着かなくなり、1人でいられない。
「死ぬかもしれない、、、」
もう頭にはそれしかない、、、。
電話を手に取り、【命の電話】に電話した。
電話しながら、泣いて泣いて不安であることを訴えた。
頓服を飲んだが効果はない。
命の電話の方は親身になって話を聞いてくださった。
しかし、頭の中はよからぬこと一杯であった。
自ら何かをしようとは思っていないが、このまま状態が悪化すれば、何をするかわからないと怖くなっていた。
「もう、限界だ、、、。」
家でも、職場でも、今のクリニックでも良くならない。
家族のためにも、自分のためにも入院した方が良いと考えた。
大学の先輩に相談して、病院を紹介してもらった。
命の電話をかけた次の日、仕事を休んでクリニックを受診した。
「休まる場所がないです。このままだともう限界です。入院治療したいので紹介状をお願いします。」
とだけ伝えた。
薬を拒否するとか、入院を拒否するとか、もうその段階ではなかった。
自分が壊れていく姿ももう見たくなかった。
家族とも関わりたくなかった。
すべての人と関わりたくなかった。
その時、僕が出来る精一杯の対処であった。
入院治療目的で、受診予約しようと電話すると2週間後と言われた。
「お願いです。もう死ぬかもしれないです。お願いします。明日受診させてください。」
恥も何もない。
何度も上記のことを訴えた。
ようやく明日受診できるようになった。
翌日、僕は紹介所を持ち、妻と予約した病院を受診するために、自宅を出た。